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いのちの川

心の声  11・12・3

 自らの心に浮かぶ
声を聞こう
心の底に 
こだまする声がある
心静めた時に
聞こえてくる声がある

日ごろの喧騒の中では
気がつかないひそやかな
ちいさな声がある
静かに流れてくる
かすかな声を聞く

自分の気がつかなかった
もう一人の自分に
出会う
あたかもそのとき
何か未知なる物に
触れた思いがする

人生の中の喜びがある
# by hirokokk | 2011-12-03 17:25

命いただき  11・11・30

 他のものの命いただき
日々この体生かされている
多くの命この身に受け
養われていることに
感謝の心もとう

 当たり前のごとくいただき
日々が過ぎてゆく
人は多くの他のものに
養われている
ありがとう


   友と過ごせば

心許した友との時間は
心身ともに 豊かな時間
顔あわせみつめ合えば
喜びが湧き上がり
胸も熱くなる

人生のひと時を
共に過ごす 短い時間も
永遠につながる
心の世界
あなたがおられない時など
思い浮かべたくもない
思いの世界でいつまでも
お会いしていたい


   寂しさ感じて

一人でいるとき寂しく
思うときがある
何に不満があるわけではなく
じっと心のそこから湧き上がる
なにやらわからないものが
上ってくる
この心は
言葉にして表したとき
多少は分かってくれても
この世界のことは、一人で感じ
一人で気づくことなのだろう

生きている限り 
さまざまな場面に出会う
嬉しい時 悲しい時 笑うとき
どの場面であろうと
心の世界に心留めなければ
気づかない
周りの喧騒が耳に入っても
私の心は一人寂しく
思いの世界に遊ぶ
いいえ寂しくでは無く
心広がり 思いの世界を
飛翔する
 
# by hirokokk | 2011-12-01 00:09

時は過ぎ 11・11・30

 いつしか時は過ぎ、今や72歳。風のように時は流れていった。何も是と思う痕跡残さず、人生という舞台から去っていこうとしている。自分の命もやし、炎のように熱くなって、ことに向き合って生きてきただろうか?
 残る日々はどれほどかわからないけれど、前を向いて歩んでいこう。この世に生まれて、人との出会いの中で、いろいろ出来事あったけれど、思いは千路に乱れる。
 今日久しぶりにお会いした信仰の友と語り合ったけれど、なにが残っただろうか?互いの無事を喜びまた心にある思いを語りあった。いや聞いていたほうが多かったが。近頃礼拝休んでいるので、たまには語り合うのもよいものであった。互いの命のそこに流れものを感じあい、ひと時をコーヒー飲みのみ語るのもよいものだ。つきに一回ぐらいお会いし語りあいたい方である。 

    きらめく光のように
   さまざまの思い心に秘め
   今日という日に
   何に心ときめかし
   生きて行くのだろう

    一日の朝は
   何に出会うこと出来るかと
   心ときめかす
   嬉しいときである
   
   久しぶりの友との語らいは
   こだわりなく流れるように
   心の泉からあふれ出す
   命流しあうのもいいものだ
      
 


  
# by hirokokk | 2011-11-30 23:21

小山小昔の会  11.11.13

 懐かしい20年以上前の小山小の頃の方々と、時を持ち語り会うことができて嬉かった。8人参加だった。
須崎校長先生はいまや88才とのことであるが、とても若々しくそんな御年には思えなかった。当時の宮川教頭先生が、計画してくださって会が持てたことが嬉しかった。ありがとうございました。
 今や互いに年をとってきたわけだが、お会いすれば時の流れは無かったごとく、変わらず親しい気持ちがした。
  互いに月日はたてど
  昨日のごとく 
  親しく言葉交わし
  笑顔で語り合い
  共に過ごした一時を
  懐かしく語り合い
  近況をも語り
  話に花が咲きました。
    
  
  
 
# by hirokokk | 2011-11-13 23:35

主と語る  11・11・11

 今日は1の数字が続く日ですね。2011・11・11・11・11 こんな瞬間もあったのです。
今日も後藤さんと我が家で、2人礼拝をしました。いつも週に1回は必ずおいでいただいて、デボーションガイド「マンナ」を中心に語り合います。世のもろもろの話に花を咲かせることもありますが、必ず主のこと語るときを持ちます。随分前からつづいています。勤めていた学校で出会い、退職してからもイエス様のことを学びあうため時を持っています。よくもまー続いているなーとわれながらおもっていますが、彼女が必ず木曜日にきてくださるので、続いているのですがもう10年以上になります。暑い日も寒い日も、サボることなくつづいているのです。
 イエス様にふれるのは、したがって日曜日の礼拝と、この日は語りあえる日です。普段の日も、自ら祈り聖書をよむといいのですが、怠け者の私は、たまにしか主とまじわっていません。本は出さないけれど、こころのなかで、主を思い祈りの言葉や、話しかけたりはしています。どうやらなんにもわからなかった私でも、主が私とともにいてくださるということが、信じられるようになってきました。それはいつの間にか変えられてきたという気がします。祈るお方が、私の中におられるということは、ほんとに心強いことです。
 いつも私のことを見守ってくださっていることを感謝いたします。
# by hirokokk | 2011-11-11 21:43



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