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いのちの川

平安  08.1.15

礼拝後お茶飲みの帰り、友と2人並んで帰る夜道のことでした。

 語る友の言葉に、「私は40年以上もイエス様信じてきたけれど、 証するというようなことには出会わなかった。KFCにきてからいろいろ学び目がさめた思いだが、長い間何してきたんだろうと。けれども考えてみれば 過ぎてきた年月いろいろ厳しいこともあったけれど いつでも心に、平安があった。何があっても動じない平安が。だから穏やかにすすごすことができた。」といわれた。
 私は「ウワーすごい!それってすごい証じゃない。私もKFCでイエス様のこと学び、少しづつ分りはじめ喜んでいるけれど、一番大切なことではないかしら。」

 帰宅してからもこのところその平安ということに思い巡らしている。いろいろ思い悩み、苦しんだりしているけれど、なにか土台ができて、いろいろあって落ち込んでも平安という、たとえ今は低い土台であっても、育ちつつあるように思う。
 このことにより、日ごとの生活に、心のゆとりが出来、イエス様とのめぐり合いと交わりを、この時空で楽しむことが出来る。本当に嬉しい、たとえようもない平安の喜びである。

     平安      08・1・15
いつしか知らぬ間に
心の奥深く 平安が 
そっと芽をだす

主からの平安が
心穏やかに
ぬくもりの中で

友の過ぎさった年月にも
そっと手を差し伸べて
今も守られている

「お前は知らなくても
何時も私がそこにいる
気がついてくれてうれしい」と
主は 静かに言われる
by hirokokk | 2008-01-15 18:14
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